空中分解ノクターン

引っ越しました。住所が変わりましたのでお知らせします。
同居人との生活がうまくいかなくて部屋を出ました。今は地元に戻っています。地方都市とは名ばかりの駅から遠く離れた田舎です。
ここでは昔からこの地に根付いている暗黙のルールと噂話に満ちています。とても狭くて息苦しい。

住所変更の旨を伝える手紙を出そうと思い玄関を出ると、ゴミ袋がひとつ置かれていた。
「このゴミは回収することができません」と書かれたステッカーが貼られている。

黄色地に赤い文字。黄×赤=警告。最近では正しく分別されていないゴミは手元に戻ってくる。
袋を開けると昨日捨てた自分の名前が入っていた。ここでは言葉を捨てる際は、3つ以上の文節に分けなければならない。
私はミドルネームを持っていないし、姓と名がひとつずつしかない。3つ以上に分けることはできない。だから私は自分の名前を棄てることができない。

仕方なく名前をより分けて、改めてゴミ袋を捨てるべく収集所に向かった。どこに行くにも遠く、長い畑道を通らなければいけない。
足元に道を横切ろうとす る芋虫が這っていて思わず「ぎゃっ」という小さな悲鳴をあげた。

この町が嫌いな理由のひとつが、田畑が多くて虫が異様に多いことだ。
人の傷口を見ると寄ってくる。最悪な習性、見たこともない色と柄。私は基本的に足のない虫が大嫌いだ。
「芋虫」も「ぎゃっ」という悲鳴もこれ以上分断できない。この町からはなくならない。

ゴミ袋を捨てた帰りに、畑の一角が潰されて、道路工事が始まっていることに気がついた。

何年も変わらなかった景色が変わろうとしていることに、私は不意に胸をつかれた。
同居人と修復しがたい仲になって崩れた生活。その結果一度出たこの町に戻ってきてしまったことが悲しい。

「折れ曲がった関係を桟橋に見立てたこともあったね」

そうつぶやいた瞬間、桟橋は崩壊。散らばった線を拾って回収する。
桟橋だけではなく、この世のすべては点と線でできているのだ。滑らかな曲線も。完璧な正円も。
ようやく拾い集めた線を畑の隅に投棄した。明日ゴミ袋を持ってきて捨てよう。両腕で抱えて持ち帰るには重すぎる。

次の日畑に向かうと、拾い集めた線は一本も無くなっていた。芋虫たちが食い尽くしてしまったのかもしれない。
そう思った瞬間、畑の中から凄まじい数の蝶々。一夜にして成長した美しい蝶の群れは、舞い上がりながら散り散りばらばらになっていく。
そうして一羽も残らずこの町から、消えていくのを私は見ていた。

中沢くんのこと

放課後、夕暮れ。小学校の校舎の影。
グラウンドに白いチョークで書かれた四角形が並び、ひとつひとつの中に生徒が立たされる。四角の下には爆弾が仕掛けられている。

爆破装置を持った先生が生徒たちにたずねる。

 

「さあ、誰の爆弾を爆発させたらいい?」
誰かが小さな声を震わせて
「・・・くん」
と言った。するとほかの生徒たちも次々と言った。
「・・・くん」
「・・・くん」
名前を呼ばれた少年は暗い影の中うつむいたままで、ついに顔をあげることはなかった。


「こんにちわ」と声をかけても返事はない、亡骸のような老婆。畑道の端に、一休みするように座り込んだままの姿勢で。

この辺では、よくあること。何かの拍子に魂が抜けてしまうのだ。

私は炎天下の中、畑と水田しかない気の遠くなるような一本道を歩く。向こう側から誰かがやってくる。

陽炎の中から現れたのは見覚えのある青年だった。
「中沢くん」
「あっ、曽根さん」
 久しぶり、元気だった?なんて実の無い話をしながら私は言った。
「・・・なんでこっちに戻ってきちゃったの?」
「ちょっとこっちで探し物があって」
こうして同級生に道でばったり。当たり障りのない会話をしてぎこちなく別れる。というのは田舎では、よくあること。


中沢くんは小学校の同級生で、たいして仲がよかったわけでもなかった。むしろほとんど会話をした覚えもない。
でもね、中沢くん。私はときどき、あなたの夢を、見るんです。


小学生のときのこともそれより小さい頃のことも、昔のことはほとんど覚えてない。
でもひとつだけ思い出すのは、掃除の時間、裏庭で飼っていたウサギがつぶれて死んだ日のこと。

女の子の中にはショックで魂が抜けてしまう子もいた。
先生は誰かが掃除中に悪ふざけして、誤って踏みつぶしてしまったのだろう、という結論を出した。

別にこの程度の事件なら、どこの学校にもあるようなこと。
そのとき飼育室掃除を担当していた私たちの班は校庭に立たされて問われた。

 

「さあ、誰がやったんだ?」
誰かが小さな声を震わせて
「・・・中沢くん」
と言った。するとほかの生徒たちも次々と言った。
「・・・中沢くん」
「・・・中沢くん」
だから、私も言った。
「中沢くん」
名前を呼ばれた中沢くんは暗い影の中うつむいたままで、ついに顔をあげることはなかった。


ほとんど表情の見えなくなった彼の横顔の輪郭線を、私は忘れることができない。
その夏休み、中沢くんは校舎の屋上から飛び降りた。あのことが原因だったのかはわからない。でもそれは自殺ではないと私は思った。
彼はこの学校から、同級生たちから、飛び出すために自分の肉体を捨てたのだ。
ただ、彼の妹はそれがきっかけで魂が抜けてしまった。中沢くんも妹の魂も、二度と戻ってこなかった。
 

あれから10年たった今になって、中沢くんはここに戻ってきた。探し物があると言って小学校の方へ向かっていった。私は走ってそのあとを追いかけた。
もう2度と足を踏み入れることはないだろうと思っていた校舎。全身から吹き出す汗を感じながら、屋上に通じる階段を駆け上がる。

やはり彼はそこにいた。
あのとき「中沢くん」の名前が挙がったのは、たまたま。誰が犯人だったのかはいまだにわからない。
影が薄くてそんなに頭もよくなくて、何を考えているかわからなかったから、犠牲にするのにちょうどよかったというただそれだけのこと。

そんなことは、よくあること。 でも、私は今も夢に見る。


「中沢くん!」
と後ろから叫ぶと、中沢くんは満足そうな笑顔を浮かべて少し振り向いた。そして、そのままそこから飛び降りた。
正確には、ある地点をめがけて飛び込んだ。やっと彼は探し物を見つけたのだ。

 

中沢くんは二度死んだ。一度目はこの小さな世界から飛び出すために。二度目は宙にさまよう妹の魂を取り戻すために。

 

私は呆然としたまま屋上を出て校舎を後にした。じりじりとした日射しに焼かれながら、夏ももうすぐ終わるだろうと思った。

私は不安定な魂を抱えながら、元来た道を歩き出した。

軟体動物の夜

健吾は夜中喉が渇いて、冷蔵庫を開けたら何も無いことに気がつき、牛乳を買おうと思ってコンビニへ向かう途中で街の隙間を見つけた。


今まで気づかなかったのか、突然現れたのか、そこに隙間があったのだ。人ひとり入れる位の幅の隙間に、健吾は興味本位で入ってみた。
隙間の中は薄暗く湿っぽい。奥の方にぼんやりと青白い光が見えた。よく見るとその光の正体は巨大なくらげであった。

近くまで寄ってみると健吾の身長の倍はある。健吾は刺されたら死ぬだろうなと思った。

「どうも、こんばんは」
くらげにそう言われたので健吾も
「あ、こんばんわ」
と会釈をした。
「どうですか、最近の街の隙間は」
「いや、僕3ヶ月前に田舎からこっちに上京してきたばっかりなんで。初めてですね、こういうのは」
くらげはしゃべるたびに口元とおぼしき辺りがぶるぶると震えた。
「そうですか。田舎には境界線になるような建造物がありませんからね。物と物の間に隙間ができるように、街と街の間にも隙間は生まれるのです。

いわゆる街になりきれなかった空間の歪みのようなものです。」
ああそうなんですか、と健吾は曖昧に相槌を打った。
くらげの足下になにかいるなと思って目をこらすと、色とりどりのウミウシだった。
様々な色と形をした無数のバリエーションのウミウシたちが、地面を埋め尽くすようにぬらぬらと這いつくばっているのだった。

「この街の生活はどうですか」
「いやーまだ慣れないっていうか、新生活で緊張してるせいか体が重くて。正確に言うと足が重いんですよね」
「それは、あなたが地方の憂鬱をひきづっているからですよ」
くらげのその言葉は健吾の膝あたりにぶすりと刺さって、余計に足が重くなった。
ウミウシは何もしゃべらなかった。何も語らなかった。ただ黙ってじめじめしていた。
「いや、僕は・・・」
健吾は言った。
「僕は何もひきづってないですよ」
くらげは震えて、膨らみはじめた。
「なんですって?私の言うことがわからないんですか?私が間違ってるっていうんですか?」
「いや、そういう意味でなく・・・」
くらげは止まらなかった。
「これだから駄目だ!ああ言えばこう言う!年端もいかない若造のくせに、目上の者から本当のことを指摘されるとすぐ反発する!

もう若者の自意識の強さとか、誇大妄想にはうんざりなんだよ!」
くらげはわめいた。暴走した。そのまま怒りに震えて膨れ上がって膨れ上がって、さらに倍の大きさに膨張したところで突然ぶしゅっという音がした。

そしてガスの抜けた風船のようにしゅるしゅるとしぼんでいった。
街の隙間に横たわる、軟体動物の残骸。くらげはぐんにゃりとして、頭がつぶれた重みで触手がずるずると伸び、どす黒い体液が地面にあふれ始めた。
肌に触れてかぶれたり変なぶつぶつができたりしたら嫌だな、と思って健吾は隙間を出た。

辺り一面にううごめくウミウシを踏まないように気をつけながら。でもやっぱりちょっと踏んだかもしれない。

 

急に街の灯りの下に出て、まぶしさに目が眩む。足にこびりついた憂鬱は、アスファルトにこすりつけても取れないような気がした。
鈍く重い足をひきづるようにして健吾はコンビニへ向かう。横断歩道の青信号が、点滅し始めたところだった。

 

 

 

※こちらの三編は冊子UTOPIAに収録されています